“RE-LAX DESIGN WORKS タクビトモオの Design Holic な日々”

Aceto Balsamico Tradizionale di Modena, Acetaia del Cristo, min. 12 år, 100 ml.


先日、お世話になっている方からバルサミコをいただきました。本国に住む友人からのお土産だそうです。
バルサミコは結構お気に入りでトマト+ルッコラ+モッツァレラチーズの組み合わせをバルサミコとオリーブオイルでいただくことが多いのですが・・・(決して気取ったものではなく、それを箸でガツガツと食らうのです(笑))その日頃いただいているバルサミコはそのへんのスーパーなんかで売っている1,000円やそこらのもの。・・・で、先日いただいたそのバルサミコは立派な箱に詰められ、あけるとなんか由緒由々しき小瓶に詰められ、豪華なブックレットまで同梱されているじゃあーりませんか!?「ほー」とばかりに不慣れな手つきでそのしっかりと封のされたコルクの栓を抜き、香りをたしかめると・・・なにやらタダものではない芳醇な酢の香り。日頃使っているバルサミコとは濃度も違いあきらかに別物。トロリと数滴スプーンに落とし舐めてみると・・・「おー!」と思わず声が出るほど。ウマすぎです。酢の概念を通り越し甘みとコクそして深い香り…よい食材(大抵“高級食材”となってしまうのですが…)を口にしたときにいつも感じるのですが、身体に浸み込んでゆくのがわかる…そんな感覚をおぼえるのです。このバルサミコも例外ではなく、口にした瞬間身体中に浸みわたり身体が喜んでいる。…そんな感覚にとらわれました。テンションの上がってしまった私はこいつの正体を知りたくなり、早速WEBで調べてみることに…。
“アチェト バルサミコ トラディツィオナーレ ディ モデナ”…はい、やはりタダものではありませんでした。フェラーリ、パバロッティに並ぶ、モデナ3代名物の1つで、これこそが“バルサミコ”だったのです。日頃いただいているバルサミコはこの“トラディショナル バルサミコ”を安価で楽しめるように模してつくられたものだったのです。

では、ここで調べたバルサミコの知識をざっと…。
バルサミコヴィネガーはぶどうだけから作られます。ぶどうの品質、バッテリアスと呼ばれる木樽での熟成方法、瓶詰めの仕方までが法律によって定められています。“トラディショナル”という名前を冠して販売するには最低でも熟成に12年の歳月をかけなければなりません。熟成させては樽を入れ替える作業を最低でも12年続け、、生産者協会の厳しいテストをクリアしなければなりません。ぶどうの品種、樽の移し替え、酸度、糖度など90項目以上の厳しいテストに合格してはじめて“Tradizionale”と呼ばれる権利を手にできます。
トラディショナルと認可されたヴィネガーは、協会によって瓶詰めにされそしてラベル貼り、密閉、ナンバー付けが行われます。ビンは番号順に登録され、登録簿にはそれぞれのバルサミコの歴史が記されています。生産者協会に現在25社が加盟しているようですが、協会は、各協会員の生産可能な量や過去の生産量を把握しています。協会員は登録した以上の量を販売することはできません。”トラディショナル”とはそれほどにまで厳しく管理されているのです。25年以上熟成させたバルサミコにはトラディショナルの上に“extra vecchio”という言葉をつけることができます。

価格も驚き…です。一瞬にして虜になってしまった私にとってはとてもツライ情報です。(T - T)

“おそるべしイタリア”です。かねがねイタリアのモノづくりにはとても興味をもっており、近い将来その地へ出向かなければならないと思っていたのですが…いやーまいった。まいりました。改めてイタリアのモノづくりのスゴさに感動をせずにはいられないほどのものでした。
“ソレ”を食べるだけで、今すぐにでも現地へ出向きその真髄を目の当たりにしてみたい。…いったい、どんな人たちがどんな環境の中、どんな想いでコレをつくっているのか知りたい。…そんな、衝動に駆られる。“ソレ”ってすごいと思いませんか。

私は“本物”に出会ったとき、いいようのない熱い想いが込上げ涙さえ出そうになります。「これこそが“モノづくり”なんだ」と、感謝に似た気持ちにさせられるのです。今の時代、忘れられかけようとしているモノづくりのあるべき姿が、今も世界のあちこちに少なからず残っています。私はそれに出会えたとき、嬉しいのです。ありがたいのです。

時代とともにモノづくりのあり方が変わってゆくのは仕方のないことかもしれません。しかし、モノを創り出す者は、そんな時代の中にあっても“誇り”だけは忘れないでほしいものです。

自邸の新築現場で。


自邸の新築現場で・・・。
代々受け継がれてきた建物を取り壊し、そこへ新しい住まいを建てるケースがある。解体される建物は人の人生ほど、またはそれ以上の時を経て、役目を全うし取り壊される。
今まで多くの建築現場に携わってきたが、 建物が解体される様はいつも感慨深いものがある。 今まで施主が住まいしてきた建物を解体する際、その建物の主は複雑な心境で、その取り壊される様を 見守る・・・。
いくつもの時を経て、また幾世代の人生を包み 見守ってきた建物が取り壊される時、必ずといってよいくらい、その建物の主は涙する。
おそらくは、今までそこで過ごしてきた時を 今までの様々な出来事のその時々の様々な思いが 壊されてゆくその瞬間に走馬灯のように 思い返され・・・その時々の自分達を包み、見守って くれた、その建物との決別の時を切なく感極まる涙なのだろう。
次へ進むため、その役目を終えた建物との決別の時・・・ 新しい建物を創るという事への歓びと 古い建物との決別の切なさ・・・。
建物は人が、そこへ入ることで建物となる。 建築物とは単なる「入れ物」にしか過ぎない。 住宅、事務所、商業施設等にかかわらず人が入る事で、 その建物は創られた目的を果たす事出来る。 肉体に魂があってこその「人」であるように、 建物も、そこで生活する人々が入ってこそ建物となる。
建築人はその事をよく肝に銘じて建物を創らなければならない。 肉体が魂に作用し、またその逆もあるように 建物は、そこに集う人の人生に作用する・・・と言っても 決して過言ではない。 設計にしろデザインにしろ、工事内容にしろ・・・ なにひとつおろそかにしてはならない。 そこに住む人のこれからの「あり方」に大きく影響を及ぼす。
住宅であれ店舗であれ会社であれ、そこでは「人の人生」というドラマがあり、 いくつもの「育み」がある。 その「育み」の起点である、その場所を創るという事は どれほどに責任の大きな事か。建築人は肝に銘じなければならない。
もちろん「経済的」な大きさも肝に銘じてほしい。。 建築での一千万円という単位の価値は非常に小さく見られて いるように思えてならない。 「金」としての一千万円ではなく「建築」としての一千万円は 残念ながら、あまり重く感じられていない。一千万円や二千万円という住宅を取得するため 一生懸かりで長期のローンを返済するため、身を粉にして 働いている人も少なくない・・・ということも 建築人は認識してほしい。
家を建てる時、 主はどんな気持ちで建てるか。それはとても大切なことである・・・と思う。
目に見えるものではないが、過去からの想いとこの場所でこれから育まれる想い。その「想い」という愛のエネルギーが具現化する。 そんな想いのつまった、その自邸は確実に「よい住まい」となる。 そして、そこに住まう人のこれからもよいものとなる、と 確信する。
ある現場で100余年経った既存の建物を解体した時、 屋根裏から立派なごろんぼ(梁)が現れた。 私はどうしてもそれを捨てることができず、その梁だけは業者に無理を いって持ち帰ることにした・・・。

RE-LAX DESIGN WORKS WEB SITE

RE-LAX DESIGN WORKS ホームページがリニューアルオープンしました! 伴い、当社代表タクビのブログ“RE-LUXE・DELUXE”もスタートいたします。
私、タクビがデザイン中毒な日々をリラックスにデラックスに綴ってまいります。


当社のメインワークである建築の裏話やデザイン・モノづくりにまつわるあれこれ。 私個人の独断と偏見に満ちた戯言などなど・・・。
どうかよろしくお願いします♪
http://www.re-laxdesign.com/