“RE-LAX DESIGN WORKS タクビトモオの Design Holic な日々”

自邸の新築現場で。


自邸の新築現場で・・・。
代々受け継がれてきた建物を取り壊し、そこへ新しい住まいを建てるケースがある。解体される建物は人の人生ほど、またはそれ以上の時を経て、役目を全うし取り壊される。
今まで多くの建築現場に携わってきたが、 建物が解体される様はいつも感慨深いものがある。 今まで施主が住まいしてきた建物を解体する際、その建物の主は複雑な心境で、その取り壊される様を 見守る・・・。
いくつもの時を経て、また幾世代の人生を包み 見守ってきた建物が取り壊される時、必ずといってよいくらい、その建物の主は涙する。
おそらくは、今までそこで過ごしてきた時を 今までの様々な出来事のその時々の様々な思いが 壊されてゆくその瞬間に走馬灯のように 思い返され・・・その時々の自分達を包み、見守って くれた、その建物との決別の時を切なく感極まる涙なのだろう。
次へ進むため、その役目を終えた建物との決別の時・・・ 新しい建物を創るという事への歓びと 古い建物との決別の切なさ・・・。
建物は人が、そこへ入ることで建物となる。 建築物とは単なる「入れ物」にしか過ぎない。 住宅、事務所、商業施設等にかかわらず人が入る事で、 その建物は創られた目的を果たす事出来る。 肉体に魂があってこその「人」であるように、 建物も、そこで生活する人々が入ってこそ建物となる。
建築人はその事をよく肝に銘じて建物を創らなければならない。 肉体が魂に作用し、またその逆もあるように 建物は、そこに集う人の人生に作用する・・・と言っても 決して過言ではない。 設計にしろデザインにしろ、工事内容にしろ・・・ なにひとつおろそかにしてはならない。 そこに住む人のこれからの「あり方」に大きく影響を及ぼす。
住宅であれ店舗であれ会社であれ、そこでは「人の人生」というドラマがあり、 いくつもの「育み」がある。 その「育み」の起点である、その場所を創るという事は どれほどに責任の大きな事か。建築人は肝に銘じなければならない。
もちろん「経済的」な大きさも肝に銘じてほしい。。 建築での一千万円という単位の価値は非常に小さく見られて いるように思えてならない。 「金」としての一千万円ではなく「建築」としての一千万円は 残念ながら、あまり重く感じられていない。一千万円や二千万円という住宅を取得するため 一生懸かりで長期のローンを返済するため、身を粉にして 働いている人も少なくない・・・ということも 建築人は認識してほしい。
家を建てる時、 主はどんな気持ちで建てるか。それはとても大切なことである・・・と思う。
目に見えるものではないが、過去からの想いとこの場所でこれから育まれる想い。その「想い」という愛のエネルギーが具現化する。 そんな想いのつまった、その自邸は確実に「よい住まい」となる。 そして、そこに住まう人のこれからもよいものとなる、と 確信する。
ある現場で100余年経った既存の建物を解体した時、 屋根裏から立派なごろんぼ(梁)が現れた。 私はどうしてもそれを捨てることができず、その梁だけは業者に無理を いって持ち帰ることにした・・・。